「あの頃の事」「一と踊」(宇野浩二)

宇野浩二は間違いなく貧乏だった

「あの頃の事」「一と踊」(宇野浩二)
(「子を貸し屋」)新潮文庫

親類からの仕送りが
断ち切られた「私」のもとへ
母が上京してくる。
さっそく金に困り、
竹下という業者のもとへ
原稿を持ち込むが、
出版社に取り次ぐ気配が
一向になく、ただ
のらりくらりとかわされる。
月々の支払も滞った「私」は…。
(「あの頃の事」)

元芸者の小瀧と夫婦になった
小説家の「私」は、
妻に届いた借金の督促状の
直談判のために
諏訪へ行こうとする。
ところが妻は
行かないでくれという。
その町には、
「私」がかつて関係していた、
子持ち芸者の
ゆめ子がいたからである…。
(「一と踊」)

宇野浩二の私小説2編です。
「あの頃の事」は大正4年(著者24歳)頃、
「一と踊」は大正8年(28歳)頃の
自身の生活を
素材として編んだものです。

それにしても明治生まれの作家は
裕福だった人と貧乏だった人に
はっきり分かれるようです。
漱石や谷崎の小説の主人公は、
生活苦など微塵も感じさせません。
この宇野浩二は
間違いなく貧乏だったのでしょう。
その日の食うものにも困る様子が、
「あの頃の事」には
包み隠さず描かれています。

物書きとして生きていく
決意をしているのですが、
出版社とのつながりを
持っていないため、
仕事に窮しているのです。
竹下という胡散臭い業者に
翻訳小説の原稿を預けるのですが、
一向に取り次ぐ気配なし。
学習書の注釈の仕事をもらうのですが、
稿料はなかなかもらえずじまい。

竹下の振る舞いに
「私」は怒り心頭に発するのですが、
それをぐっとこらえる様子が
微笑ましいかぎりです。
「なアに彼だって人間だもの、
 心ならずもあんな態度に
 出たものかとも思へるのだ、
 だが、さう思ふ後から、
 すぐに潮のやうに
 腹立ちがこみあげてくるのだつた、
 あるく私の足どりが早くなつたり
 遅くなつたりするのだ。」

「一と踊」の頃は
幾分安定してきたのでしょうか。
それでも蓄えがなかったのでしょう。
家財道具のほとんどない家に、
ある程度の財を成した妻が
やってきた様子が笑えます。
「あき家のやうな
 體裁の家から旅だつた私は、
 歸つてきて、その同じ家の中に
 それぞれ安物でもない
 相當な家財が充滿し、
 それらがことごとく整頓されて
 おかれてあるのに驚いた」

筋書きはないに等しい
小説でありながら、
独特の語り口で読ませる
宇野浩二ならではの作品です。
当時の読み手は
ラジオのトーク番組でも
聴いているつもりで
読んでいたのかも知れません。

(2020.2.11)

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